東京大学 総合文化研究科 言語情報科学専攻
大石和欣研究室

研究Now!

現在いくつかの研究を同時並行的に進めています。

大きく分ければ1)ロマン主義に関わるもの、2)建築や都市に関わるもの、3)農耕詩やエコロジーに関わるもの、4)ラフカディオ・ハーンおよび日本におけるロマン主義受容という4つのテーマに分類できます。

重なる部分もありますが、必ずしも繋がっていたり、連動しているわけではありません。ノマド的というべきか、カオス的というべきか、共同研究や参画するプロジェクトに合わせて発展させたり、補足したり、継ぎ足したりして、継続的に研究しています。

そろそろどこかでまとめたいところですが、落ち着いて整理するためのまとまった時間が取れずに苦戦しています。

1.ロマン主義に関する研究 

コウルリッジ研究

研究の中心にあるのは、やはりイギリスのロマン主義、とりわけ詩人であり思想家・哲学者でもあったコウルリッジの詩や思想・哲学です。多層的で多次元的な知性の持ち主であった彼の詩や思想を追いかけていくうちに、気づいたら戻るべき場所を失くしていました。

そんなコウルリッジを軸にしながら、ワーズワスや女性詩人たちの詩作品、さらにはウィリアム・ハズリットやジェイン・オースティンといった作家たちの散文・小説まで幅広く読み込んできました。

共感のロマン主義

テーマとしてもっとも関心を持っているのが、「共感(sympathy)」や「博愛(philanthropy)」「仁愛(benevolence)」といった理念、あるいは感情が、この時代の社会的・歴史的文脈のなかでどのように位置づけられ、定義され、そして文学を含めたさまざまな言説を通して流通していったかです。文学テクストや関連する歴史史料の分析を通してその位相を明らかにしようというのが私の研究スタイルです。以前は観念史(history of ideas)あるいは心性史(histoire des mentalités)という枠組みの中で説明してきましたが、最近では感情史(history of emotions)という新しい領域が歴史学の中に台頭し、そのアプローチや知見も組み込みつつ研究を進めています。
イギリスが帝国主義的な海外覇権を伸長していく時代にあって、経済や社会の活性化と引き換えに社会的格差がより深刻な問題として浮上します。また、アメリカ独立戦争やフランス革命が起きた時代に、イギリス国内でも社会的・市民的不平等を焦点にして軋轢と緊張が高まっていました。貧困問題解消や社会改革、社会改善、政治改革を叫ぶ言説が次々に流布していくなかで、「共感」や「博愛」「仁愛」「チャリティ(charity)」といった理念が、錯雑な思想的背景や政治的理念を伴って流通していきます。その情的な要素や心性としてのあり方はこの時代に特異なものなのでしょうか。それとも現代の私たちにも共有されうるものだったのでしょうか。フランス革命を礼賛するイギリスの急進主義者や詩人・思想家たちが掲げた「共感」や「博愛」「仁愛」の理念には、どのような感情や思想、あるいは心性が含まれているのでしょうか。この時代に同じ理念は多方面に浸透していましたから、類似の疑問も複層的に湧いてきます。それらに対して少しずつですが自分なりの回答を積み上げてきました。

共感する女性たちと公共圏

社会的共感やその実践としての慈善活動は、女性たちにも開かれたものでした。感受性の時代と謳われる18世紀中葉、共感や同情、憐憫といった感受性とそれに裏打ちされた言語は、女性作家が物語(ロマンス)を構築する際の強力な媒体(メディア)として機能しました。感受性言語が女性作家にとって文壇という公共圏に参入していく突破口を切り拓いたように、共感は女性たちに慈善活動を通した地域や社会における福祉の確立という新たな活躍の場を提供していきます。プライヴェートな共感という感情が女性たちを公共圏という社会的プラットフォームへと登壇させたということになります。その際のジレンマや軋轢は、18世紀末からヴィクトリア朝期にいたる小説や散文のテクストからも考察できます。女性と共感、慈善活動の連動を文学テクストから探っていくことも私の重要な研究課題です。

関係する外部資金など

  • 2005-2008年度 [研究代表者]科研費(若手研究B) 「1780年代から1830年代の英国における感受性文化と女性と慈善の関系」
  • 2007-2009年度 [研究代表者]科研費(挑戦的萌芽)「ロマン主義時代の女性文学と福音主義的背景―歴史学的考証に基づいた言説の研究」
  • 2007-2009年度. [研究分担者]科研費(基盤B)「18世紀イギリスにおける女性の言説と公共圏―文学研究と歴史研究の断層と結節点」(研究代表者 富山太佳夫)
  • 2008-2012年度 [研究分担者]科研費(基盤B)「ロマン主義時代の旅行記とその歴史的背景 ― 国家意識・国民意識の変容を中心にして」(研究代表者 草光俊雄)
  • 2009-2012年度 [研究代表者]科研費(基盤B)「他文化=多文化への眼差し-コウルリッジとロマン主義文学における異文化間交渉の位相」
  • 2012年 福原記念英米文学研究助成基金(研究助成)福原賞「感受性文学における慈善心あふれる女性たちと消費文化」
  • 2014-2016年度 [研究代表者]科研費(挑戦的萌芽)「公共圏と女性たちの経済意識―イギリス近代女性文学における社会史的研究モデルの構築」
  • 2016-2018年度 [研究分担者]科研費(基盤B)「近代イギリス女性作家たちの言語態と他者-感受性、制度、植民地」(研究代表者 小川公代)
  • 2019-2021年度 [研究分担者]科研費(基盤B)「近代イギリスにおける感受性文学と誤認―女性、言語、社会制度」(研究代表者 小川公代)
  • 2020-2023年度 [研究代表者]科研費(基盤C)「「共感」の言説と文学ー社会思想史的文学研究の可能性を探る」

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2.建築・都市の文学的表象

もともと建築や空間的なものに関心はありましたが、文学研究と結びつけて考えてはいませんでした。それが日本への帰国を機にして、文学テクストにおける表象として、建築や都市空間を捉え直すようになりました。自分にとって、イギリスの建築物や都市空間がリアルなものから、ヴァーチャルのものにすり替わり始めたことを意識したからでしょうか。わかりません。
地図が実際の空間とは異なるように、テクスト上の建築物や都市空間は、現実の世界にあるものとは似て非なるものです。もちろん現実としての建築物や都市について理解を深める必要はありますが、言語による表象は、それを提示した人間、あるいはその人をとりまく社会や歴史、文化や風土といったものをイメージの背後に秘匿しています。ピエール・ブルデューが「ハビトゥス」と呼んだブラックボックス的な文化装置を考えてもいいかもしれません。

『家のイングランド ― 社会の変貌と建築物の詩学』(2019年)は、19世紀後半から20世紀前半にかけてのイギリス文学に表象される建築物を、同時代の社会の動きと対置しながら分析することで、そこに含まれたハビトゥス的なものを解き明かす試みでした。またその延長線上で、ロンドンという都市空間の表象についても、歴史的・文化的観点から解きほぐそうと断続的に研究を継続しています。

言語には新たな世界を構築する力があります。現在は仮想としての風景や人物を生み出すCG技術やインターネット上にヴァーチャル空間を構築する技術が独占的に脚光を浴びている感があります。ですが、もともと言語には知性と感性の双方に訴えながら本人にしか認知されえない構造物を各自の脳内に築き上げる機能があります。

ロマン派詩人コウルリッジが詩「クーブラ・カーン」で創造/想像した楽園「ザナデュ(Xanadu)」は、まさに今私たちが馴染んでいるヴァーチャル空間の原型でありながらも、言語によって構築された視覚化不可能な幻視的空間です。言語のそうした創造的な力と機能、単純な視覚化を拒否する特性を、建築や都市に即して考えてみたいと思っています。

関係する外部資金など

  • 2011-2013年度 [研究代表者]科研費(挑戦的萌芽)「家のイデオロギーを掘り起こす―郊外小説から見た社会とコミュニティの断面図」
  • 2014年 福原記念英米文学研究助成基金(出版助成)福原賞 『家のイングランド―変容する社会と建築物の詩学』(名古屋大学出版会、2018年)

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3.農耕詩の系譜学、エコロジーとイギリス文学

イギリス・ロマン主義研究を志すことになったのは、大学一年生の時に出席していた山内久明先生のゼミでウィリアム・ワーズワスと出会い、感動してしまったからですが、その主な理由は私自身がみかん山と茶畑に囲まれ、田畑が広がる静岡県の片田舎で育ち、その暮らしや風景をワーズワスの詩に読んでしまったからにほかなりません。農家だった祖父母がそんな風景の中で春夏秋冬働いている姿を間近で見続けてきたこともあり、農業というのは身近なものとして考えていました。
もちろんワーズワスの詩的世界と日本の風景は異なりますし、ロマン主義の美学や自然観には非日本的な要素が多分に含まれています。しかしながら、ワーズワスをはじめとしたイギリス文学に描かれた自然風景、あるいは農村生活は、私にとってはヴァナキュラーな研究テーマとして早くから浮上していました。
その重要な学術的意義に気づいたのはジョナサン・ベイトの『ロマンティック・エコロジー』(1991年)を読んだ時でした。エコロジーという現代的理念が実はワーズワスやラスキンが描き、論ずる自然観に萌芽として胚胎していることを、ベイトは提示したのです。SDGsや人新世などがさらに新しい問題意識として取り扱われている今、より深くイギリス文学に包摂されたエコロジーについての意識や考え方を掘り起こしていく必要があると思っています。

関係する外部資金など

  • 2010-2014年度 [研究分担者]科研費(基盤B)「文学研究の『持続可能性』―ロマン主義時代における『環境感受性』の動態と現代的意義」(研究代表者 西山清) 
  • 2013-2015年度 [研究分担者]科研費(基盤C)「環境美学のイデオロギー編成―ロマン主義時代の環境主義と庭園と職人・農民詩人たち」(研究代表者 ティー・ヴェイン)

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4.日本におけるロマン主義受容とラフカディオ・ハーン

比較文化・比較文学については専門というわけではありませんし、あまり多くの業績はありませんが、東京大学におけるPEAK/GPEAKプログラムをはじめとする国際コース向けの授業を担当しているうちに、少しずつ特定のテーマについて分析や考察を深めてきました。そうした過程でイギリス・ロマン主義の日本における受容や理解を一つの重要な研究課題として扱ってきました。ラフカディオ・ハーン(日本名 小泉八雲)は日本におけるロマン主義受容の要の一人でもあり、日本と欧米とを思想的枠組みの中で比較する一つの基軸として位置づけられると考え、機会あるごとに少しずつ調査を進め、論文や研究発表として形にしてきています。
また、Peter Cheyne (ed.), Imperfectionist Aesthetics in Art and Everyday Life (Routledge, 2023)に寄稿した小林康夫先生との共著論文“The Aesthetics of Weeds: A Case in Junzaburō Nishiwaki”は、雑草の美学というテーマで日本における「雑」の思想を解き明かそうという新たな試みの第一歩です。

関係する外部資金など

  • 2015-2019年度 [研究代表者]科研費(基盤)「異文化交渉の動態と位相―ロマン主義テクストの受容と再構築の過程を考究する」

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